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がんばりすぎずにあるこうや。

Jリーグ20周年

1993年5月15日、国立競技場でのヴェルディ川崎横浜マリノス戦で開幕したJリーグが、めでたく20周年を迎えました。

スタンドに10チームのビッグフラッグが掲出され、J-Boyがぶわーんと登場し、川淵さんが開会宣言をするシーンは、今シーズンが始まる前から繰り返しテレビで流されていますね。あれから、チーム数は4倍になり、セカンドディヴィジョンもでき、サッカー専用スタジアムも多く完成し、アジアでの戦いも始まり、日本代表はワールドカップの常連になりつつあります。20年というと長いようですが、この年に生まれた子たちがやっと成人したくらい。これほどの短期間に、日本のサッカーは驚くほど進歩しました。選手やチームスタッフ、関係者、そしてもちろんサポーターなどなど、たくさんの人たちの努力の賜物です。

Jリーグが開幕したとき、僕はまだ小学生でした。当時市原に住んでいた僕は、テレビのスポーツニュースで「ジェフユナイテッド市原」という単語を見つけて「え、市原って、ここの市原?違う市原じゃなくて?え?」と殊更に驚きました。はじめてスタジアムに見に行ったのは翌94年、臨海での広島戦でしたね。そのころはサッカーのサの字も知らないただの子供で、臨海のサイドスタンドで仮設ベンチをガシャンガシャン踏み鳴らしながら、一生懸命背伸びしてピッチを見ていました。

その広島戦でたまたま近くにいたスーツ姿のおじさんに、「J!で右手、E!で左手、F!で両手を上げるんだよ」って「オーレ」の振り付けを教えてもらったのが、僕のジェフサポとしての一番古い記憶です。グレーのスーツに身を包んで手を振り上げるおじさんの後ろ姿は、今でも鮮明に覚えています。あのおじさんは、まだジェフサポをやっているのかなぁ。

Jリーグがなかったら、そしてジェフが市原に来なかったら、僕はサッカーどころかスポーツそのものにこれほど関心を持つことはなかったんじゃないかと思います。サッカーだけじゃなくて、野球やF1、フィギュアスケート、バスケ、アメフト、フットサルなどなど、今ではいろいろなスポーツを見るようになりましたけど、その原点は間違いなくJリーグです。だからJリーグが僕の人生に与えた影響はとてつもなく大きい。「スポーツ観戦」という趣味のひとつでしかないけれど、大きな楽しみをもたらしてくれているのですから感謝しなきゃいけませんね。

2005年のナビスコカップ決勝で本当に久しぶりにサッカーを見に行って、あの国立のゲートをくぐって緑のピッチを目にしたときの鳥肌が立つような感覚もよく覚えています。延長戦を戦っても決着がつかずPKまでもつれこんだしんどいゲームでしたが、クラブの初のタイトル獲得に立ち会えたのは至上の喜びでした。臨海の優勝報告会に向かう総武線でも、なんだかワクワクしていたなぁ。

そして、フクアリに通い始めて早5年。多くのサポ仲間もできて、サッカーはすっかり僕のライフワークになっています。J2に降格したら興味なくなるのかなぁなんて思っていたら全然そんなことはなく、4年目のJ2でもしっかりシーチケを更新して毎週ジェフのサッカーを楽しみにしています。こんなにハマりこんでいるなんて、10年前には考えもしなかったなぁ。

仲間とわいわい騒いでみたり。
ゴールが決まると全然知らない人たちともハイタッチしちゃったり。
かわいいマスコットを追いかけて写真撮りまくってみたり。
ちょっと高いけど美味しいスタジアムグルメで腹を膨らましてみたり。
遠くのアウェイに行ってその土地のウマイものを食いまくってみたり。
「サッカー見に行く」とか言いつつバッチリ旅行までしてきちゃったり。
そしてまたホームに戻って「やっぱりここが落ち着くなァ」なんてホッとしてみたり。

サッカーの周りのそういう日常が楽しみで、僕はまたスタジアムに向かうのです。