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がんばりすぎずにあるこうや。

素直に「おかえり」とは言えないよ

[ジェフ公式]佐藤勇人選手の加入について

勇人が帰ってきました。発表直後の会見にも同席してお披露目済みです。背番号は3年前と同じ「7」。

2年前、勇人をはじめ6人の選手にオファーがあったとき、僕は、勇人がジェフに残ってくれることを疑いませんでした。ユース時代にひと悶着あったにせよ、14年もの長い間黄色いユニフォームを着続けて、阿部がいなくなってからは紅いキャプテンマークを引き継ぎ、印だけでなく強大な責任すらも背負って闘っていた勇人。練習環境や選手寮のことをずっと気にして、フロントと対立したこともあったでしょう。そして、サポーターのことを一生懸命に想ってくれていた。「サポーターのために闘い、サポーターとともにタイトルを目指す」と言ってくれていた。その言葉には、嘘はなかったと、今でも思っているし、だからこそ、ジェフと一緒に苦しい時期を歩んでくれると思っていました。

けれど、勇人は京都へ行くことを決めた。「環境を変えることで、サッカー選手として、人間として成長したい」というのが理由だと言っていました。けど、それが本当の理由じゃないってことは、サポーターの誰もが知っていました。だからこそ、ものすごくショックではあったけれど、「今までありがとう」の言葉を胸にしまって、あの厳しい2008シーズンに立ち向かったんです。サポ歴の短い僕にも「最悪のシーズンオフだ」と思わせるくらいに最悪なオフだったけど、いろいろな現実を全部受け止めて歩き出した2年前を、僕は忘れていません。

11試合勝ちがなかったあと、奇しくも勇人のいるサンガから初勝利を得た。秋の西京極でも、工藤のカウンターミドルで奪った1点を守りきった。昨年は勝てなかったけど、京都の怖さを見せつけられた。どの試合にも、ピッチには勇人がいて、白いキャプテンマークを腕に巻いて、チームの中心にいました。サンガに欠かせない選手になってるんだと感じて、誇らしくもあり、悔しくもあり。そしてもちろん、「お前のせいで、俺たちは今こんなに苦しいんだぞ」とも思っていた。それは本当です。

その勇人が、このオフに京都を離れました。「フロントのヴィジョンが見えない」という、2年前と同じような理由で。そして、フランスのグルノーブルや、J1の湘南、大宮といった強豪クラブのオファーをすべて断って、ジェフに帰ってきた。「苦しいときのジェフに戻って、ジェフの力になりたい。今戻るのが一番いい」。そう言って、再び黄色いユニフォームにそでを通しました。

苦しい時に助けたいという、その気持ちはありがたいと思います。好条件のオファーがいくつもあった中で、それでもJ2という下位カテゴリのチームを選んでくれたことには、感謝したいと思う。そして、戻ってきたいと思ってもらえるものがジェフにあったということに、一人のサポーターとして誇りを感じる部分もあります。

でも、僕は素直に喜べていません。今、ジェフはすごく苦しい。今だけじゃない、2年前からずっと苦しんでいます。どうしてジェフがこんなに苦しむことになったのか。勇人に、その責任がないとは言えない。そうは言わせません。もちろん勇人だけじゃないけれど、でも、お前のせいでもあるんだよ。

あのとき、オファーを受けた6人のうち、残ってくれたのは巻だけでした。「ジェフで優勝したい」という大きな決意をもって、すべてを背負って残ってくれた。そして、僕らを支え続けてくれました。それに、どん底にあったチームを見て、それでもあえてやってきてくれた選手たちもたくさんいます。苦しい2年間を一緒に戦ったのは、彼らです。僕の2年間には、彼らがいる。

勇人の2年間には、何があった?厳しい言葉を残して千葉を後にして、そこで何を感じたんだ?そして今年、京都のサポーターに同じような辛辣なコメントを突き付けて、千葉に帰ってきて、どう思う?お前のしていることは、みんながみんな喜ぶようなことじゃない。ジェフにもサンガにも、大きな傷を残しているんだよ。

僕は、勇人が大好きです。あのダイナミックなプレーは、とても魅力的なものだし、そのプレーをまたフクアリで、しかも"ジェフの勇人"のプレーとして見られるのは、楽しみでもあります。「1年後にはJ1に復帰して、さらにJ1で上位争いができるチームにする」という言葉は、とても勇人らしくて頼もしい。

だから、勇人にはがんばってほしい。いま僕の胸の内にある、何とも言えないモヤモヤした感覚を根こそぎふっ飛ばすくらいの、強烈で闘志にあふれたプレーを見せてほしい。黄色いユニフォームを着て、ジェフのホームであるフクアリで、「ジェフの佐藤勇人」を見せてもらいたい。

よろしく。ジェフをよみがえらせてくれ。たのんだよ、勇人。